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EXPLORE 歴史・伝統 | 2019-05-22

【謎】14世紀の遺跡ウイピャームトゥの祭場貿易の港町?海賊たちの集落跡?! ※指定重要文化財

みなさんこんにちは。今回は、以前から気になっていた沖縄県の重要文化財「上比屋山(ういぴゃーやま)遺跡」に行くため、城辺砂川(うるか)地区南部の地域まで車で向かっています。

県道235沿いをインギャーマリンガーデンに向かって行くと、「上比屋山遺跡」の案内標識を見つけました。

脇道に入るとすぐ、道路脇に入り口のようなものが。看板も何もなく、暗い感じで少し怖いですが、ここから入ってみることにします。(後日確認したところ、ここは別の入り口で、もう少し先に行くと石碑とメインの入り口がありました)

結構傾斜がある岩山です。この一体は、琉球石灰岩でできた高さ40mの丘陵地になっているそうです。入り口は暗くて怖い感じでしたが、中に入ってみると、木漏れ日がさし風が吹いていて、涼しくて気持ちが良いです。

人が暮らしていた痕跡

予想以上に歩き続けていると、土器を見つけました。
この周辺地域一帯は集落遺跡になっていて、14〜15世紀ごろには大きな村があったと言われています。海が近いため、1771年に大津波被害に遭い、その後集落は現在の内陸のほうまで移動した歴史があるそうです。

ほら穴の中に、割れた陶器や磁器のようなものが。
この遺跡からは、中国やアジアの器などが発見されていて、貿易で栄えた港町だった可能性や、倭寇(わこう)=海賊の拠点だった可能性などが指摘されています。
ただ、この集落をつくった人々が実際にどこからやってきたのかは、いまだに謎のようです。
倭寇(わこう) (Wikipedia)

砂川(うるか)遠見番所

岩山を登りきるといきなり空が開け、そこに「砂川遠見番所」の遺跡が。
残念ながら崩れかけていますが、たてよこ5m、高さ1mくらいの琉球石灰岩の石垣です。これは「火番盛(ひばんむい)」といって、江戸幕府の鎖国時代に作られたもので、ここから太平洋を見下ろし異国船の到来を監視し、のろしで異常を知らせるための場所だったそうです。とすると、集落遺跡とは別の時代のものということでしょうか。
今は周囲に植物が生い茂っていて、海は見えませんでした。

集落遺跡はまだまだ先が。道が広くなり、開けた土地にでました。一部サトウキビ畑として現在も使われているようです。まるで当時の村にタイムスリップしたような景色。
石垣が積まれた歩道が、いろんな方向に枝分かれしています。これもすべて遺跡だとすると、結構大きな村だったのかも。何人くらい住んでいたんでしょうか。謎が深まります。

畑を過ぎるとすぐ、目の前に石積みの歩道のようなものが現れました。再び暗い森の奥へと伸びています。まるで迷路のようですが、先へ行ってみます。

人が石を整形して造ったような、門のようなポイントを通過。不思議な雰囲気が漂ってきました。..と、突然森の奥にブルーの色が見えます。(次のページに続きます)

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