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RESEARCH 番外編 | 2019-05-28

つぼ、ツボ、壺...。一体何のための道具? 島じゅうでみかける謎の壺。何のために置いてあるのか調べてみた

みなさんこんにちは。宮古の住宅街を歩いていると、こういう謎の壺をよく見かけます。何ですかね、この壺。

庭の木の下に置いてあったり。

あの家の庭にも。
このような壺は、屋外だけでなく、飲食店や居酒屋などの店内で飾ってあるのもよく見かけます。

逆さまに置かれたものもあります。
何かに使われている様子はなく、このようにただ置いてあるような感じのものがほとんどです。形や色も微妙に違いますね。
これまで何となく眺めていましたが、これは一体、何のために置いてあるのでしょうか。さっそく、地元のYさん(70代)に話を聞いてみました。

昔は店で売られていた

戦前の甕市(那覇)の様子 - 那覇市歴史博物館提供

これらの口の狭いタイプの壺(Yさんは「甕(かめ)」と呼んでいました)は、昔は食料などの保存容器として店頭で売られていて、各家庭にあったそうです。
また、写真左側に見える口の広いタイプは、おもに生活用水の水がめとして置かれ、井戸から汲んできた水をためて使うために用いられていたとのこと。

味噌や食料を貯蔵するための壺

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かつての宮古では味噌作りが盛んで、大豆の栽培から味噌作りまでを各家庭で自給自足で行っていたそうです。伊良部島出身のYさんは子供の頃、近所同士で共同作業を行い、みんなで味噌作りを行っていた記憶があります。出来上がった味噌は口の狭い壺に入れて発酵させながら保存していたそうです。
また、別のUさん(沖縄本島出身)の話では、昔は豚肉や野菜を塩漬けにして、この壺に入れて保存していたということでした。
これらの壺は、冷蔵庫も無い時代に、食料を保存するためには欠かせない道具だった、と言えそうです。

壺はどこで作られていたのか

これらの体験談から、壺の用途についてはわかったのですが、ここでひとつ気になったのが、壺は宮古で作られていたのかという疑問です。この点について、那覇市壺屋焼物博物館に問い合わせてみたところ、回答を得ることができました。

戦前の甕製造の様子(那覇壺屋) - 那覇市歴史博物館提供

担当の学芸員の方からの回答は簡単に以下のようなものでした。
>宮古で制作された壺には、「宮古式土器」というものがあるが、現在の宮古で一番よく見かける壺は、形状と材質から言って、おそらく宮古式土器とは違う、アラヤチ(荒焼)など広く普及した陶器と思われる。

那覇壺屋 窯元 1963 - 沖縄県公文書館所蔵

>陶器を製造するための窯(かま)は、沖縄本島や八重山では見つかっているが、宮古では見つかっていないことから、おそらく沖縄本島や八重山からの移入品ではないか。
なるほど...。そういえば、地元のYさんの話の中で、壺を売っていたお店の人は地元の人ではなく、沖縄本島の商人たちだったと言っていました。

まとめ

これまでの話を参考に、壺について以下のようにまとめてみました。
昔、発酵食品や穀物の保存、また水を貯めておくために使われ、各家庭にあった。
沖縄本島や八重山から製品として持ち込まれて売られていたものが、一般に普及したっぽい
戦後、時代とともに使われなくなり、現在は庭先や店のインテリアなどに置かれていることが多いようである。

壺の歴史やその種類・用途には様々なものがあり、もっと奥が深いようです。今回の記事で紹介した内容は、宮古の壺の歴史のごく一部かもしれません。また機会をみつけて、調べてみたいと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。END

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